藁で作った「込み藁」で生けるのが本来であるが、「文化込み藁」で生けた正月の茶花例を、示してみよう。 茶花と言っても、よく見かける「自由花」的なものではない。 利休の主張は、村田珠光によって始められてと言う茶席での花、すなわち、 その当時の背景にある「池坊」の「いけばな」で、それを利休流に「茶花」として確立していったのが、「茶花」の成立と言っても過言ではない。
写真1 めでたい正月の茶花として、侘びの中にも「めでたさ」を込めた茶花を、込み藁を用いることによって、 「水際の生命感」を弾みで表現するとと共に「生花(しょうか)の基本に立花の約枝の位置を想像させるような「衝羽根(つくばね」)」の配置、 紅白の椿で、客位に「体」を赤い椿で表現した正月ならではの「めでたい茶花」でもある。
その茶花として、めでたい正月の茶花を一つの例として、 込み藁の花入に挿しこむ手順を含めてその使い方を、A会員に詳しく開示してみよう。
茶花として最初に試みたのは、村田珠光が小花瓶に立花(立華)を一色で生けたことを、南方録は伝えている。 当時の背景としては、池坊の立花が禁中に、足利義政が能阿弥に、茶道ばかりでなく、いけばな等の技芸の興隆を高めさせた。 奈良茶道を習得していた村田珠光は、茶花として、当時の立花を導入したのであるが、現在では九つ道具の立花(立華)であるが、 七つ道具の立花(立華)であった。 村田珠光当時の七つの道具(役枝)と文化文政以降の九つの道具(役枝)を明記してみよう。 侘び茶を大成下利休の主張する茶花の規矩を意識して、一色一枝で立花を表現することは至難の業である。
写真1
この村田珠光の一色立花(立華)の再現を試み、その骨法と言う道具(役枝)を詳細に図と写真で会員に開示してみよう。
村田珠光が一色立花を生けたという南方録の記述から、 当時の立花の七つ道具を意識して、基本となる七つの道具(役枝)で村田珠光の「除真(のきしん)立花」を試作してみた。 七本の枝で、基本的な七つ道具を表現して、村田珠光当時の立花を、生かして再現を試みた茶花である。
写真1 村田珠光の生けたという一色立花である。挿し口は円形で、水際は立ち上がり、正に立花の立花である。 村田珠光は、直真(すぐしん)を生けたのか、除真(のきしん)をいけたのかの記述された古書は見当たらない。
村田珠光の生けた一色立花は、南方録にも記述されているが、 当時の華道界では、池坊が主事しており、能阿弥の指導の下に立花師として村田珠光は活躍したといわれる。詳しくは会員ページで、現代の立花、生花のことも加えて開示してみよう。
世界にはいろいろな茶があり、又「茶」とは言いがたいが、「茶」と同位と言える飲料がある。 日本においても各地に、「茶」と称する飲料はいろいろあり、名称も様々なものがある。番茶、ほうじ茶、玉露、抹茶、茎茶、煎茶など一般に知られているが、 碁石茶、カッポ茶、バタバタ茶など多くのものがある。 世界に広く茶を求めると、数知れないほどの「茶」と同位の飲料がある。南米のコカ茶、マテ茶、チベットのヤクで作るバター茶等があり、中国に至っては、 香りの茶、発酵して作られたウーロン茶のような茶、カビを利用して熟成したプーアル茶など各種の茶がある。それらの茶は、地域の環境によって生まれた茶もあれば、 他国から移入して発展した茶もある。 詳しくは会員ページで述べてみよう。
「感性」という用語はよく茶の世界では使われる。「感性」は、地球上に住む人々の環境変化によって、 それぞれの「感性」の差異が生じるが、地球と言う世界観から言えば、共通の「感性」も存在する。 「感性」を三つのジャンルに分けて詳細に分析をして、「その1」では、図形的、色彩的から考察し、「感性」とは何かをA会員の皆様に知っていただこう。
すべての世界に、「感性」と言う世界がある。茶の世界においても独特の「感性」がある。 その「感性」について記述することは、筆舌に尽くし難きことではあるが、あえて、その「感性」の一部に触れることができるならとの思いで、 記述してみることにする。 茶の「感性」には、その場面における庭石、木々、道具、部屋の配置と構成、色調などから見た場合、人間がその中で感覚的に感じる音、音声等による感じる世界感の場合、 その所作の動きとその所作の動きの軌跡から受ける美意識などがある。 ここでは、「音」の世界が、単なる「音」の大小ではなく、味わい深い音が、茶の世界でどのような 「感性」を作り上げているかを、会員ページでそれぞれの感性ある「音」を図と共に記述してみよう。
感性の中で、所作の「動き」、「軌跡」を理解して、修練の中で認識し、 それを習得することは、は、「緩急」、「序破急」を習得することを意味する。 修練の中でも、点前の順序を覚える段階もあれば、他の点前との相違、関連をも意識する段階もある。「緩急」、 「序破急」の習得も、修練の段階の各自のステージにおいて、それぞれの深さの違いがある。 しかしながら、最短距離の修練の道のりを獲得していただきたいために、今までには書籍でも見られない表現で、 筆舌に尽くし難き禁断の世界へ踏み入り、図表示で記述してみることにした。 会員の方々対象に会員ページで表現してみよう。
裏千家では、歴代の宗匠は、独自の七事式に準ずる修練のためのものを考案した。 法磨の式は、「一、二、三」を骨法として、又妙斎が考案したものであり、亭主が花を生けることを客に所望し、自ら、初炭した後、 主客の中から、折据で、点前をする人を選び、「一、二、三」によって、「点」を入れ、修磨、修練を目的としたものである。 講習会などで行われる法磨の式では、ほとんどが教本に記載されている「長緒茶入」、「包帛紗」によるものが行われている。 しかしながら、法磨の式は、連客の修練のレベルに応じて、むつかしい点前を要求するものではないというものの、 主客の修練の程度、茶歴によって難しい点前を課題として法磨の式に導入することを禁止しているものではない。又、四ヶ伝の中の唐物、盆点、貴人清次、茶通箱等の科目が法磨の式で行うことができることも知っていただきたい。 七事式を常に行い、修練している人たちにとっては、いろいろ挑戦したい機運がある。それ故に、あまりされない四ヶ伝の中の唐物、盆点、貴人清次、茶通箱について、 会員に開示してみよう。
七事式の中の「花月」の中には、いろいろある。中でも「四畳半花月」の中の「四畳半貴人清次花月」、 「四畳半貴人清次濃茶付花月」などは、講習会でも、よく「花月」をされるという方々の中でも されたということは耳にしない。四畳半花月には、居前に行く時に、 自席の前の畳の縁を右足で出て、右足で入るという特別な足運びがある。 総礼の後の座替りでは、特別な座替りとして、仮座に「水屋の花」が最初に動き、正客を元の席に戻すなどの手順の形式もある。 普通の「四畳半花月」では、花月をよくする人たちは、それを楽しんで「四畳半花月」をされているが、 「四畳半貴人清次花月」、「四畳半貴人清次濃茶付花月」などは特殊な座替りがあり、あまり知られていない。 A会員の方々にこの点について詳しく開示してみよう
点前をする時には、多くの人は、点前の手順を重要視し、所作については二の次にすることが多い。 しかしながら、点前の美しさ、上手さは、点前の手順を間違えなくすることに表現されるものではない。 点前の上手さは、その所作にあり、その所作の中の序破急に表現されるものである。点前が上手くなり、慣れてくると、その点前の中に打ち込まれる心が欠けてきて、点前の所作自体が崩れてくる。 この点について、平手前の建水、蓋置、柄杓の扱いについて詳しく会員ページで述べてみよう。
千鳥茶巾は、流派によってもいろいろな折りたたみ方がある。 貴人清次では、「次」の茶碗には、千鳥茶巾が仕組まれ、炉では、千鳥茶巾を置くための千鳥板が用いられる。 七事式での貴人清次が加味されたものは、修練の深い人ほど好まれることが多い。その際には千鳥茶巾が用いられ、味わい深き七事式となる。 しかしながら、千鳥の美しさを彷彿と客の心に与え、千鳥茶巾ならではの趣が点前の中に漂わなければならない。 よく見かける千鳥茶巾は、幅太く、千鳥を幻想させる千鳥茶巾にはなかなか出会わない。 会員ページで、美しき千鳥茶巾のたたみ方を写真で例示してみよう。
棗、薄器への茶の入れ方、茶の掬い方については、古書の中で、 規矩として記述されたものは見当たらないが、長い伝承の中で、慣習的にそれなりの茶の入れ方、掬い方は培われ、現在では、それが規矩のように思っている人が多々ある。 棗、薄器への茶の入れ方は、茶事での招待客数、棗、薄器の大きさによっても異なってくる。 大寄せの茶会では、棗、薄器には十分な茶を入れておかなければならない。 しかしながら、茶を棗、薄器に入れた際の山形状の美しさ、茶を掬った後の窪みと山形状の崩れゆく美しさを意識する人は多いとは言えない。拝見道具を乞った客は、 棗などの蒔絵の美しさと技巧には興味を持って拝見するが、棗、薄器に残された茶の掬った後の窪みと山形状の残された 頂上部分と崩れゆく山形状が作る美の世界を感受性豊かに味わう人は多いとは言えない。 棗、薄器の茶の入れ方、茶の掬い方を会員ページで詳細に述べてみよう。
台目席は、台子を省略して生まれた小間の茶席である。 6尺3寸の京間畳から、台子の奥行1尺4寸に風炉先1寸を加えた1尺5寸を切り取った畳を台目畳と称する。 この台目席には、仕付棚が設えられているが、ある意味で言えば、台子の天板にも該当するといってもよい。 仕付棚には、一重、二重、三重の仕付棚がある。薄茶では、仕付棚には、柄杓と竹蓋置を荘ることが約束である。
写真1 二重仕付棚では、上棚には荘ることはなく、薄茶を終えた後、柄杓と竹蓋置を荘った様子。
濃茶では、棗を荘ったまま、柄杓、蓋置を荘ること無く、 水屋へ持ち帰る。薄茶では拝見の棗、茶杓は水屋へ持って帰る。台目席の仕付棚については詳しくは、会員ページで述べることにしよう。
茶席によって、点前の所作が異なってくるものがある。お運びの点前として、本勝手四畳半、逆勝手四畳半などで、点前を終えて、 建水、柄杓、蓋置をを持ち帰る際の道具を持つ手は変わらないけれど、逆勝手ともなれば、所作に置いて違いが出てくる。 台目席になれば、濃茶の場合では、本勝手四畳半、逆勝手四畳半とは道具を持つ手も、運び帰る足の運び、茶道口に柄杓、蓋置を置く位置さえも異なってくる。 台子を省略して生まれた台目席と言う特殊な台目畳であるが故に、足運びの特殊性から生じる道具を持つ手の違い等について、詳細に会員ページで開示してみよう。
茶の原点と言われる中国の雲南省、湖南省近辺に居住するミャオ族の近年の姿を調べた見た。時代の変化に対応し、従来の山岳の僻地の居住から変質し、 観光地化へ変貌し始めた。 しかしながら、茶の産地として、高級茶の生産が地域の農業として成立し、地域の経済的基盤ともなっていた。
写真1 ミャオ族特有の色彩豊かな衣装をつけたショウの一場面。
しかしながら、茶葉の原点として現在でも、高級茶の産地として、経済的基盤を支えているミャオ族の現在の地域であった。 詳しくは会員ページで開示してみよう。
ソ連時代の1968年(昭和43年)に冬のシベリアを横断した際、列車の中で、 毎日、茶(チェイ)を飲んだことが懐かしく思い出され、今回(2016年9月)4度目のロシア訪問の際に、ロシアの茶について思いを寄せた。 ロシアへの茶の伝番は、陸路で伝わった緑茶で、海路で伝わったアイルランド、イギリスの紅茶とは、異なったものである。 初期の緑茶の伝番も、後に海路で伝わる紅茶とは、イスタンプールでの交易の交わりで、トルコのチャイをはじめご当地の各種のお茶が生まれた。 その点ロシア茶の実際を写真を交えて会員ページで述べてみよう。
風炉が日本へ到来したのは、1259年(正元元年)に南浦紹明(なんぽじょうみょう)が、宋に渡り、 径山寺(きんざんじ)の虚堂智愚(きどうちぐう)から教えを受け、1267年(文永4年)に帰朝した。その時に、台子、風炉、釜、水指、 皆具一そろいを持ち帰った時である。 到来当時の唐金鬼面風炉から切掛風炉、土風炉、鉄風炉、陶器の風炉、板風炉などいろいろ考案されたが、その種類も大変多い。その一部を図で表現してみよう。
写真1 風炉の種類の一部
風炉には、材質、用途などでいろいろな種類があるが、それによって、真、行、草と分類され、 又、風炉の種類によって、灰形も多く存在する。風炉に用いる敷板、前土器なども多くの点前、歳時記によっていろいろある。 この点を会員ページで詳細に記述してみよう。
七事式の足運びに関しては、歩く足の位置、歩数を、指導者によって詳しく指導を受けることが少ない。本来の歩く足の位置、歩数を 京間で修練すれば問題がないが、江戸間、間の間の畳で修練する場合は、歩数、歩幅が余り、独自の歩数、歩幅で足運びをしてしまうことが多い。 畳の縁を越える際には、必ず規矩があるが、その規矩を分析して、習得している人はあまり見かけない。その規矩を図示すれば、下図の如くとなる。
図1 最初に自席に入る場合、水屋へ帰る時に自席から出る場合、点前席に行く場合、点前席から帰る場合の畳縁、敷き合せを越える足運びの規矩を図示したもの。
図示した規矩を習得し、京間での足運びを修練し、江戸間、間の間に応用すれば、正しい歩数と足の位置の足運びが可能となる。 会員ページで詳細に歩く足運びを図示し、記述してみよう。
茶壺の口緒、乳緒の結び方は、壺荘、壺荘付花月を修練する過程で、必須な手練である。手際よく、速く結ぶのはもちろん、綺麗に美しく、 バランスのとれた結び目で泣けなばならない。
図1 茶壺の正面は「真」、右側は「行」左側は「草」の結びである。
図2 口緒は、黄の濃い茶色、又は紫色の四つ打ちで、片輪結びである。
茶壺は、葉茶壺、時には、真壺とも呼ばれるが、一般的に、通俗的には茶壺と言われている。 壺荘付花月では、二服目が始まる前に、1秒でも短縮し、結び終える手際よさが必要である。その点緒手際よさと、時間短縮の結び方の一例を会員ページで開示してみよう。
花月は修練するための課目でもある。花月の「足運びは」筆舌に尽くし難きところもあり、 巷ではいろいろな足運びの問題を呈している。花月では、畳縁を踏むことは、伝承的に厳禁の所作として行われているが、昨今、一部の書籍では、畳縁を踏んだ写真も掲載され、 敷き合せを跨いで歩くことも一部の指導者で、許容している。 特に、三客の位置は、後畳に敷き合せがあり、三客の席を出入りするのに、上座へ上る場合と下座へ下がる場合とでは、 足運びにもいろいろな規矩がある。その点を会員ページで、三客の座の出入りのいろいろな場合による足運びの違いを詳細に記述してみよう。 平成29年〜30年のHPも書籍化されますので、申し込みください。 益々精進されますことを祈念いたします。